奈良 飛鳥 石舞台

奈良の飛鳥は大化の改新の舞台として我々日本人のどこか心の故郷となっている場所である。

一生教科書の写真でしか見ようも無いものという錯覚にどこか取り付かれていたように思える。

和歌山の神野之を訪れる前に時間の余裕を計算し此の石舞台を見に来た。

自分の記憶が正しければ此の石舞台はもっと段が低いように思えたが今はこれが『蘇我の入鹿』の墳墓

の石室だという事がほぼ間違いの無い物と言われているとボランティァの説明される方の弁であった。

此の石舞台の埋葬者はかなり人から恨まれた人物のようだ、石棺が粉々に砕かれて出土したそうである。

また、生きている内に天皇が自分の思うようにならないからと言って、殺害したりもしたらしい。

此の大きな石は細川谷というところから引き上げたそうだが、足りない石は他の人の墳墓を壊して

持ってきた石であるとか・・・かなり、横暴な人物像が浮かび上がってきた。

駐車場に歩いていた時飛鳥音楽を再現していた音を聞いたなんだか韓国の民芸音楽のようである。

もしかしたら、大化の改新は中国系の帰化人と、韓国系の帰化人の攻防戦だったのではないだろうか。

大豪族と天皇家の攻防戦だっただけだろうか。それにこんなに狭い地域で行われた事であるとすれば、

その当時の大和朝廷の実質の人数や規模はどんなものだったのでしょうか?

1300年遷都のお祭りを見に行く時間があれば立ち寄るのも面白いかもしれない。