3月11日震災の法要が鹿児島と東京で行われました。

私は源良院さんで法要に参加しました。皆さんもご存知のようにご住職は施餓鬼供養をされ更に霊の要求で多くの経を読まれます。今日も2時間半の長いものでしたが、私も多くの学びがありました。まず一つ目は
余りにも多くの方が一瞬で亡くなられた場合自分が死んだことを理解していない霊体ばかりであると言うこと、ましてや自分の骸を見たわけでない場合更に混乱しているのか自分が死んだことを理解していない。日本という国は霊格が高いはずなのに何故解らないのでしょうか?
2番目は
天国を見せたのに喜んでそこに登って行こうとする人が少なかった。これは宗教的な教育がなされていないからにほかならない。
3番目は
最後からさんばんめのお経が始まった時お坊さんが黒い袈裟の3から5人ご住職の隣でお経を唱えられた。
お坊さんも亡くなったのだ。
不思議なことだが本堂にお経が反響し何人もの読経の声が聞こえた。

コトネとして一言。私に何が出来るだろう。
「死なないで、殺さないで」の本が何のために降りてきたのか理解できたような気がした。

全国行脚が必要ならやらねばなるまい。
大変なことだ。覚悟がいる。協力して下さる方も必要だ。

それだけではあるまい。私に出来る事から遣るしかない。

時間がない。