こんな方がいらっしゃっるのだそうだ。
その神様貴方が欲しいだけお金を回して下さるのだそうです。
しかし入ってくれば入っただけ出ていきます。
そうして回すから足が生えたように消えるのだそうです。
お金のことを「おあし」といいます。
しかし、歳をとると「死に銭」といってお金にこだわって残して
おきたいと思うらしいのです。
ある資産家が、有料老人ホームで月100万もするところに入っていた。
家族は彼女のお金の目減りに気を配る為、足しげく通ってきていた。
入る時1億あった貯金通帳が亡くなるその時には4000万
になっていた。その通帳をみながら彼女は「お金が無い。お金が無い」と
言い続けたらしい。
お金って持つ人使う人の意識レベルがはっきりわかれますね。
100万もある人、100万しかない人。これもよく言われること。
しかし、お金の神様は入る分だけ出してくれる人をお好みのようです。
本当はその方が合っているのかもしれません。
しかし、あるお寺の方が言いました。
「人間生まれるときの準備は出来ているのに、死ぬ時の準備は何もできて
いないものですね」
それは、人間だれも自分が死ぬと思っていないからかもしれません。
お金を準備するのはお金の流れにちょっと竿を指して引っかかった分だけ保管しておく
それが理想的ですよね。お金の流れを意識して、これ位は貯めておこうと思わないと
貯まらないのかもしれません。
それから、お金の神様は借金ということに敏感です。身の程をしって自分の身の丈
の生活をして別の流れを作らないようにしなければなりません。
「借金できるのも身の内」と言う言葉がありますが、借金は返すものです。
返済能力を考えたら気軽に借金は出来ませんよね。
お金の流れの本流からの水(ここではお金)が減ってしまったらどうでしょう、
借金の返済は待ってはくれません。全てに枯渇状態となります。
お金の神様はよろこばれませんから、その人の所にはいくらお呼びしても
来ていただけません。大きな流れが欲しければ、大きく望み大きく流す
ことを心がけるということでしょうか。