結婚

かつて日本の結婚は家対家の結婚であった。

子孫繁栄を願う者達によって脈々と伝えられてきた。

この間に我々女性は強くなり婚家先の人間関係の中で我慢というものと

交換に何かを自分の物にしてきた。嫁と言う存在は無口になりひたすら

主人の保護を求めそれを愛情と信じてきた。

個人の差、身分の差、環境の差はあるだろうが嫁の立場は変わらなかったろう。

利口な嫁ほど無口であり、良き子孫を残せるかいなかの価値評価であったのではないだろうか。

そのズーット前はどうだったのだろう、縄文時代は基本は食であったろうから労働力の確保と

死亡率との戦いにおいて清潔を保ち、生も死も受け入れた時代であったのだろう。

その中で結婚となれば当然それぞれの持ちうる能力が結婚の条件でもあるかと思う、しかし

人間も動物であるゆえ動物的な結婚もあり得たであろう。雌雄の結婚の条件は今も変わらないのでは

ないだろうか。

こんな話を聞いた。子供は3人主人の給料では主人に昼代も渡せない。(家をローンで買っている)

きっと主人は親の所でも言って無心してくるだろう。夜遅い主人には夕食の準備もしない。

主人は土日は昼間は道路工夫のあとコンビニで働き月曜日は朝から普通に仕事に行く。

夜弁当を買って帰ってきて食べたら寝てしまう。(そりゃあ疲れてるだろうし、こんなことしてたら

早死だと思う。)

妻は少しでも家計を支えようと仕事に出たが服装や持ち物を気にせねばならない職場だった為

浪費が増えた。4人の子供たちは勝手に遊んでいるからしつけも出来ていない。

(よく学校から呼び出されるが無視している。)

主人は下の子供がせめて中学校にあがるまで頑張ろうと思っているそうです。

今どきの核家族に見られるパターンかもしれない。この行きつく先は家庭崩壊、児童虐待

本当の幸せや家族の団らん、家族愛や夫婦愛それら全てがお金と絡んでしまう変な世の中だと

思いませんか?

又こんな話も、子供は2人主人は少ない金額の生活費しか渡さない。子供の成長に伴って

教育費がかかっても出してくれないのでとうとうパートに出ることになった。主人は好きなものを買い

趣味のゴルフに興じている。妻は自分の家にどれだけの貯蓄があるかも解らず、保険に入っているのかも

知らず、不安が募る。もう何年も前から家庭内別居、言葉も交わさず。紙に言いたい事を書いて渡す、

そんな生活だそうだ。2人の子供を連れて生活費もないのに離婚したくても出来ないそうだ。


色々な家庭があって当然ですが、なんだか悲しいですね。どの時代でも結婚ということによって

学ぶべき事は沢山あったと思いますが、今何に気が付くべきなのでしょうね・・・・

「カルマを作らない。楽しく生き切る為にはどうしたらよいのかもう一度考え直して下さい。」

追伸・・・「結婚とは契約である。契約には権利と義務が生じ、責任が生ずる。当事者は

      結婚前にここをとことん話し合い理解し、結婚がしたいために目をつぶるのは

      ナンセンス。お互いの疑問を解決しておかなければならない。
      
      契約違反には解除又は申し立てが存在しても良いはず」という友人の言葉があります。