動いた。
興味を持ったものが動き出す。
この面白さは研究者や探険者で無ければ持つ事の出来ないドキドキや
未知なるものに対する畏敬の念や、そこで何百年何千年も私を待っていてくれたのか
という一種ストイックなまでの、恍惚感を人間にほんの瞬間だが垣間見せてくれる。
私は研究者でもなければ、探険者でもない。しかし、時限と次元の間を行ったり来たりしていると
「はてな?何が言いたい?何をきずいて欲しい?」と思える画像を額に観る。
近頃はテレビ番組の中にも「きずけよ攻撃」の罠が仕掛けられている。
9チャンネルで国東半島の修正鬼会という1300年続く旧正月のお祭りの
ドキュメントが放映された。天念寺と言う寺は今は住職のいない寺だそうだが
年に一度六郷満寺の一つであるこの天念寺は先祖の霊とも仏とも言われる鬼が
現れる。寺のある長岩屋地区の人々が川の氾濫で流された寺を復元し、戦後の
時代に復興を成し遂げた祭りである。鬼には角は無く毎年選ばれた僧侶が
有難く、仏(鬼)と一体となる。奈良時代の鬼は忌み嫌われるものではなかったのだそうだ。
「生きる事が行(ギョウ)。何時終わりが来るか私にも解らないが、人様の苦しみを
取り除いてあげるそれが我々僧侶に託された道です。」そういわれた、ご住職のおだやかな
顔と、雪道を念仏唱えながら一人で歩く荒行中の姿が重なる。
生きて仏となる事は天台宗の教えであったか?こんなにして自らを鍛えている人がおられた。
私はまだまだ甘い。
真面目な素晴らしい番組の構成に清涼感すら残った。
やはり、国東は何かが待っている。きっとまた行く。そんなきがする。