伊勢・伊雑宮より奈良・檜原神社へ

ブログの更新が無いと心配して下さった皆様ありがとうございます。

無事伊勢の伊雑宮を深く知る、方々と出会い。

歴史資料館にてヤマト姫の石棺から出てきたと言われる鏡を確かめることが出来ました。

ここで同行したH嬢のふとこぼした言葉をご紹介したいと思います。

「自分も情報源を他人の書いたブログから得ていました。それを鵜呑みにして全て知っている様に

感じ、自分の考えが転じて妄想のようになりその妄想をまた自分のものがさも正しいと思い込んで

いた自分に今日気が付きました。コトネさんとご一緒して全てに疑問を持ち探究してからでないと

ブログと言うものも書いてはいけないのだと言う事も解りました。コトネさんは良く百分の一も

書けないと言われる意味も良く解りました。

歴史や古い事の読み取りの実証をする為にコトネさんは動いていると言う事も解りました。」

一人でも理解いただけたことに感謝したいと思います。

またこの事はH嬢ばかりでなく私も心しなければならない、ことなのです。

伊雑宮のM氏やT氏(この方々は出てきた歴史の資料にもとずいて話して下さいました。)

から伺う所によれば、はっきりと、歴史的資料の中から語られるものと、

昔話しや口語で語られた物語は違うと言う事が解ったのです。

お話はどうとでも作れ、それが誠か嘘かなどと言う事すら関係ないし、面白ければよいのです。

この地にも多くの話が残っています。その話をまともに取り上げた幾つかのブログの話を

実際に自分の目と耳で確かめさせて頂いた、良い旅でした。

また、H嬢とおこなったヤマト姫からの読み取りは興味深いものがあり、これを語るとまた一つお話が

出来てしまいますのでこの話は月例会で行う事に致します。この読み取りがあったからこそ、

急きょ奈良の檜原神社行く事に致しました。

車で走る伊勢街道。

この街道は始めて通りましたがいろは坂より急なカーブと細い道の連続でした。

昔は舗装されていないこんな道を人は歩いて都との間を往復したのだと思うと

今の世に生まれたありがたさを思わないわけにはいきませんでした。

奈良に着き『大神(おおみわ)神社』の摂社である、

『若宮社』へ、こちらはオオタタネコの神社です。

こちらでは念願だった、イザナギイザナミの「アワ歌」の読み取りをいたしました。

次は大きな古墳墓・箸墓古墳へ。(今は卑弥呼の墓ではないかと言われている。)

しかしここは

「ヤマトトトビモモソ姫」という考霊天皇の皇女の墓で、大変な能力者で

ある巫女であったと言われる方の墳墓であると、宮内庁の看板には書いてあります。

私たちの目的は檜原神社であったためこちらでは読み取りもせず

目的地の檜原神社を目指しましたが、車が脱輪しそうな場所ばかり車のナビが連れて行くし、

何度も何度もこの墳墓の横を通るはめになりました。おかげで檜原神社に着いた時には

真っ暗、その中でのH嬢は読み取りしたのでした、彼女自身怖いものがあったであろうが、

良く頑張ってくれました。巫女修行の段階を踏むことの大変さに直面したと思います。

その間M氏は邪魔にならないように素晴らしい祝詞を朗々とあげて下さり、私は

H嬢の聞き取れない部分の読み取りに参加していました。彼女に疲れが見えた為、早々に

引き上げましたが。まるでご褒美のように空には冴え冴えと月が輝き、

北斗七星斗とオリオンのベルトの三星が面白い配置で輝いていました。

宿は桜井駅の側の「皆花楼」(かいかろう)という和風旅館となった。

こちらには、明の時代の陶磁器のマリヤ観音像と思われる置物があるということで見せて頂いた。

景教の物ではないか良いものを見せて頂いた。」と申し上げた。

さて、20日の朝は昨日お尋ねしたヤマト姫、オオタタネコ、モモソソ姫の軍団の訪問があり

早々と起床し読み取りをしたが疲れてしまって二度寝するという失態をやってしまった。

そんな事から20日に行くところが決まった。葛城山麓の神社を回ろうと言う事になった。

これは、博識のM氏の提案だ。

その前にもう一度昨夜伺った檜原神社に行ってみたが人が多く読み取りは不可能でした。

葛城山と言うのはどうも能力者を作り出す凄い所の様で、賀茂氏の発生の地でもある。

ここの古い神社「高天彦神社」で、祝詞と巫女鈴を使わせて頂くと、不思議に天が反応して

さーっと雨が降り清々しい空気となった。浮世の汚いものを掃き清める役目が雨にはあるようだ。

鈴の音も気持ちよく響いた。

次は高鴨神社である、賀茂一族の発祥の地でもあると言われているが

この真相を知るべく読み取りをした。これも月例会で聞いて下さい。

最後に『大神神社』にもどり側の美輪そうめん屋さんで念願のニュウ麺をいただいた。

ニュウ麺も、柿の葉寿司も、オウスにわらび餅もやさしい日本の食で満たされ、

店を出た途端に大粒の雨の洗礼を受けた。そうやって無事東京の我が家に戻りました。

外は春の嵐が吹きすさんでおります。しかし、奈良はまた行く事になるでしょう。

また日本の良い所を見つけてしまいました。