音に対してのコトネの価値基準
昨晩「キム・シン」さんのシンセサイザーの演奏会に伺いました。
私と言う人間は大変古い人間です。「アー電子音楽もここまで素直に作曲し演奏する
人が現れたのだな〜」人間的なキム・シンさんと言う人と楽曲の静かな祈りの構成は
成功している。このシンセサイザーという楽器を使いこなす事の出来る事に尊敬。
事芸術の世界、私は一つの基準を持っている。私の基準は神がその音を好まれる時
西洋音楽(マルタアルゲリッチさんのピアノの音)は小さな天使が光の中降りてきて
小さな羽を羽ばたかせながらこの音を持って上がって行った。
(ハバロッティーさんの歌声)は全てを乗り越えた先に光があたった。
(サックス奏者の音)にイメージが留めなく伝わった。
邦楽(大倉庄之助の鼓の音)に月が反応した。音とは素直なものであり、その人の
全てが私に伝わってくる。
難しいのは音とはその時だけの物、それゆえに神が愛でられる。神が降りて来られるものだ。
私の価値基準がそこである以上、おのずと評価は厳しいものとなる。
自分自身にも評価は厳しい。音上げとは私にとって御神事に他ならない。
今日のキム・シンさんは人として楽しめた。