何故生きているのか!

朝気持ちの良い太陽がベランダから差し込んだ、空気も武蔵野位になると、木々の出す気持ちの良い

酸素に満たされる。まだ、真夏では無い、朝の空気は、冷たさが気持ち良い。

その空気を取り入れながらブログを書いている。このパソコンの位置からは前の通りが見渡せる

朝の散歩を気持ちよくしている人がいる。

こんな時間一人で「何故いきているのか?」と考えてみた。

魂の家としての身体。

身体の成長と共に魂も成長する。

自分を大人にするのは、人生をお天道様が見守っていて下さったから。

辛い事や、苦しい事も、人生の糧。歳をとると感じるもの。

始めは自分の為に生きているのだが、そのうち誰かの為になる生き方をしたくなる。

依存型の人生は魂が大人になっていない証。

「親が子に残せるものって何だろう?」

間違いない人生の道程を示すこと。

親の背中を見て子は育つ。素直さ。

親から見て子供って本当に頼りなく見えるもの、でもかれらも大人になって行く道すがら。

それでも見守るゆとりを親は持とう、お天道様のようにイライラせずに。  ネ。

信じよう。我が子なのだから。真心こめて育てた我が子なのでから。

偉そうなことを言ったとしたらその成長を貴んでやろう。

自分の生き方を、お互いに論じ合えるとしたら、親も聞く気になったとしたら

背におうた子に教えられ・・・このうれしさを味わえるのも、子育ての苦労が報われた時。

親として先に生まれ、我が子を愛おしんで共に成長した日々。子供の人生で育てられた私たち。

もしその子供たちが我々の傍から離れて生活しているとしたら、それは大人になった証拠。

お天道様ありがとうございます。