首の施療

昔仙台の大学にお勤めだった教授の首を治したことがあった。会員様のご紹介であった。
駅前の整体院に行き帰って来たら頭痛と首の痛さに精神的にもおかしい、助けて下さいと言う
あの頃は時間を取れたし、無理も出来たので早速仙台までいった。首に手を置くと首切り役人が首を打つ姿。「ひどい目に会いましたね。」
全てを解ってから施療し、首を基に戻した。


今回は半年前に階段で倒れ頭をとっさに打たないように首を目一杯曲げた。思い切り背中を打ち着けた。時がたって頭が前に落ちた、気が狂いそうに痛い。寝ている時は寝返りが出来ない。その時でも家事をしなくてはならず医者に行ったが治らない、と言う事でお呼びが掛かる。

これは大変だ。首が異様にほそい。筋肉が無いばかりでは無い、神経、リンパ、筋、が細かったり無かったりしている。
これを直すのは神のみが知る所だ。

「なおりたい。」と言うクライアントの強い意思がないとならない。コレは得られた、「寝ていて下さい。」頭を揺らさなければ可能。
集中に入る。三日の施療の後成功。こんな酷い首は初めてこんなクライアントは2度と無いだろう、いややりたくない。施療者には選ぶ権利は無いのだろうか?


コトネ的見解と考察10


つくづく頑張ってきた。頼って下さる方には惜しみなくして来たつもりである。
私の施療は手を抜く事は基本的に許されない。
私に力を下さるのは「ウエ」なのだから施療を受ける者の思いも当然施療効果に現れる。
「死にたい。」と思う者にはウエは手を差し述べない。私は橋渡しの役目である。