悩みの解消法

「コトネさんは、悩みは無いのですか?」と聞かれた。」

「これと言って、悩みはない。」

「どうしてですか?小さい悩みは誰にでもあるでしょ?」

「でも、これといってない。」

どうしてだろうか?

個人的な悩みがあったら、私はアマノコトネという仕事をサッサと捨てて、

贅沢な自分だけの「悩みの脳」に変換して「悩みの時間」を楽しむのではないかと思われる。

悩み?ナヤミ?なやみ?

悩みになる前に、完全に対処して行動しているから悩みは無い。

人の悩みを解消するためにいるコトネは、自分が「悩みの権化」になっている暇や、

時間が無いのである。

よく考えてみると、幸せな私は、こう考える。

深く悩むことは、浅い悩みを深く掘り下げるヒマがあるからではないだろうか。

浅い悩みのうちに解決法を見つけて実行行動すればいいのである。

其の為には、何を悩んでいるのか逃げないで浅く広く考える。

悩みの種は自分から遠くに置くか、「見ない、聞かない、言わない」のである。

自分の「心」に帰れば、必ず「良心というものがあるのだろうか?」と分析する人がいる。

『良心』という価値基準もその人個人のものであるから、自分に対する時間を

沢山持っている人にしか、味わえない感覚だ。他人はこうであろうと思っているのも

その人の尺度で考えるからまたまた、穴を掘っているように見える。

だいたい人間と言う生き物は、自分はあくまでも、素晴らしい人間で

相手はどうしようもない人間だと、考える。

しかし相手は平然と生きている。ここでまたまたその人は考える。これが深くなると

「悩み」になってるように見える。

「よく色々考えると眠れなくなるんです」という人がいる。

コトネならどう考えるのか「こんな夜何を対処出来るというのだ、良い考えが浮かんでも

こんな夜中に何が出来るというのだ寝よう。」とこうなる。

仕事をして良く解るのは、夜起きているから格好が良いわけでも、

良いアイデアが浮かぶわけでもない。脳は休めば休んだだけの効果を翌朝目覚めの時に

私たち人間に渡してくれるのである。