神に寄り添う生活。

「神に寄り添っていると自覚せよ。」これからは、ご神事と言う言葉は使わない。

神に寄り添うお業法をさせて頂いている。ご神事は神職がなさればよい事である。

私は、導かれるとうり、ご命令どうり。ただ淡々とするべきことをするのみである。


今日昔のビジネスをやっていた時の知り合いからの依頼にメールを書いていた。

その人はもう25年もあっていなかったから私がバリバリ仕事をやっていた姿しか知らない。

そうだ、三次元での、お金を稼いでいた頃の私しか知らないのである。

その人の返事に私は堂々と、人を紹介はしてもその責任はその人が判断して決めて欲しい事。

もう三次元のお金お金の生活はしていない事。

ドロドロした、経済生活に二度と戻ろうとは思わない事。

人助けは受けてもいいが、お金を儲けるための依頼は受けない事などを書いていた。

今の私は自分の出来る範囲を知り、大きなお金には関心が無い。欲が亡くなったとは言わないが

それよりも嫌な人間関係の中には入りたくない。入らなくても生活できるものは神様から

頂いている。いつの間にか綺麗な生活に慣れたおかげで、周りの人が見えてきている。

胸を張って間違いなく「巫女である。」と言い切れる。

私は人間であるから、人間であるこの人生を楽しみたい。

「神へのご奉仕などと、口に出すものではない。今私は神に寄り添い満足して日々忙しく楽しく、

過ごしている。」