学ぶという事
「いま日本には正確なサニワの出来る人がいなくなった。」この言葉は私の尊敬する佐藤愛子先生の
口から洩れた言葉である。
サニワとは、神の依り代である巫女に降りた言葉が東西の歴史に照らして間違いが無いかを
検討し、質問を加えることにより、その言葉が確かに神より降ろされたものであることを
確認する人物の事である。この人物の存在において歴史が動かされたことは間違いなかろう。
しかし、現代はどうであろうか、あらゆる情報が満ち溢れており、実際に何が正しいのか
判断できる人間がいるとは思えない。
私と言う人間は、けして神より降りた言葉すら鵜吞みにはしない。じっくり吟味してから
三次元に出す。それは、現代を生きる巫女として当然注意しなければならない決まり事と思って
いる。私には私利私欲は無い。
皆さんは一所に止まらないで欲しい、多くの情報の中から間違いのないであろう情報に近いと思える
ものを自分で選ぶことを怠ってはいけない、その為に学ばなければいけない。
宇宙の心理として、人が解っている情報の数は誠に少ないのである。
ただし、人の生き方においては我々人類の事ゆえ正解率は高くなるはずである。
自分の生き方が吟味出来ないものに大局は語れない。其の為の学びである。
それは、見える世界の人でも、見えない世界を知る人でも同じである。
我々の学びはまだまだこれからである。人の一生は何と短いものだろうか、
何処に、心理があるのだろうか?前に進む怖さを知り、後ろを神眼を持って観る。
全てにである。決して自分を誇示することなく、謙虚に赤子の心を持ち
童子の知る事に驚喜できる心を持ち、成人の燃え立つエネルギィーを持って、
自分の立つ立場に置いて貪欲に学ぼうとする我を見つけて欲しい。
日々、これ学びの時間。生きている限り。