夫婦についての考察

結婚したら、夫婦になる。

お互い完全な人間などいない。不完全な者同士がお互いの至らないところを補う事ができる相手と会う事が出来れば、末長く続く夫婦になれるだろう。

しかし、お互い不完全どうしである。おぎあえないこともある。その時夫婦の間に出来た、子供への愛情によって、我慢したり、より良い家庭の力で補強して行く事が可能な場合がある。

しかし、人生において、全てハッピーなどと言う幸せな夫婦などいない。もしそんな夫婦が居たらお目にかかりたい。必ず何方かが我慢している。

そしてその限界を超えた時、大爆発を起す💣。

補強出来る位の爆発ならよいが、中々程よい爆発は訪れない。その原因の一つが、違う異性の登場と言う厄介な問題がある。自分のパートナーへの、不満を補い潤してくれそうな異性の出現に此の爆発が絡むと、破局を迎えてしまう。

今は結婚と言う契約で、守られているが、昔はなんだかんだと言われ追いだされるのが関の山だったようだ。縁切り寺と言う場所もあったらしい。

「出戻り」と言う言葉は女にとって不名誉の様だが

可成り昔から使われている。

現在は「バツ一、バツニ、バツ三。」男もここまで行く男は性格的な欠陥を疑われる。

f:id:amanokotone:20201019013503j:image静かに老後を迎えた時に夫婦は何を思うのか?

一人静かに老境の今思う事は何だろう。

良く茶飲み友達と、言う言葉が使われるが、夫婦も

この域の友達感覚、相手の全てを把握しているが、まだまだ未知の物を経験出来る着かず離れずの関係となって居れば、こだわりから脱皮出来ればどれほど心が楽になるだろうか。

こうあって欲しいは、相手に対する欲でしかない。

自分にとっての価値観を相手に求めても、この老境にはいった人を変える事は出来ない。

自分も又変われないのと同じである。

人が変われるのはせいぜい35歳迄だと聴く。f:id:amanokotone:20201019072823j:image昔相手の考えを受け入れたから今がある。そうでなければ、とっとと別れているだろう。

相手の経済力や、地位的魅力は老境に至っても自分を満足してくれていれば、十分であろう。

これはあくまで私の考察である。

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