教授との共同研究

もうかなりの年数になる。

私が本を書かなければならない期間を除き様々な角度から情報の読み取りを

行う。教授が「さにわ」をする。私はクリアになって情報を読み取る事に専念する。

昔から「さにわ」に対して「かみしろ」というらしい。

私は自分は巫女だと思っている。霊はスイッチを入れれば解るし話も出来るが私は

霊能者ではないのでその次元に対してはスイッチを切っている。切っていると楽なのである。

霊といってもかつては人間の為かつて人間であったときのの評価や思い価値基準をを

こちらに見せてくるので必要な時、意外は聞かないようにしている。

「かみしろ」と言う役目は「さにわ」の実力によって降りてくる情報が違うのも面白い。

教授ではない人がその人なりの「さにわ」をしたら、そのひとに解る答えが返ってくるの

である。故に「さにわ」がいかに重要なポジションかどうかが解る。

「さにわ」は一つの事しか聞いてはいけない。「かみしろ」は全身全霊を使って

細い情報を押し広げて言葉として「さにわ」に告げていく。

私は聞いた事の1/3も覚えておらず、重要な所はウエのご差配で直ぐに忘れるように

なっているので後は「さにわ」である教授にお任せするのである。

突拍子もない質問にも快く答えてくれるご親切な存在に本当に感謝申し上げたい。

また突拍子も無い答えに二人して唖然としたり、「た、確かに」というまことに

理路整然とした答えがかえてきている。驚きの連続である。

教授は私の背ほどのこの数年間の読み取り資料を持っている。一つの質問もあらゆる角度から

時も質問の仕方もいろいろ変えてしているらしい。真実は一つであるので答えは同じとなる。