15日の面白い経験
朝食前に御神木の取材の為佐賀県の県木である楠の大木を見に行く。
1時間も行けば武雄という所に楠の群生林があり樹齢3000年の楠があるという話であったが、これは此の次の機会にした。佐喜(さが)神社に樹齢300年の御神木で大楠があったのでそれを見る事にした。さすがに写真に納まらず、堀の外から写した。此の地にも『河童伝説』があり興味深かった。
佐賀人のおっとりした人の良さはこの楠のようである。朝食の後運動靴を履き山登りである。巨石群があるという。350メートルの山を登る。案内役のM氏も初めて昇る。下の石でもかなりの巨石であったが名前が無い、上に昇るほどその訳が解る。「造化大明神」という岩屋は拝む気持ちになった。天地万物を御創りになった神様と言われるらしい。上に行くほど大きい石になる。
巨石が点在する中。御座石という長さ10メートル。幅33.3メートルの長方形の石の上でしばし瞑想をする。神様が此の山頂から佐賀平野を眺められたという。目を瞑ると獣の皮を頭から被った人物が見える。当時の原住民であろうか?さてくだりが又大変であったが、身体は汗まみれであった。良いダイエットには違いは無い。熊川温泉で一風呂浴び、昼食をとる時間も無く、吉野ヶ里遺跡に向かう。R女史は此の遺跡調査の時も旗振りをなさったようである。
吉野ヶ里遺跡はパークになっており、NPOの若いお嬢さんが付いてくれた。
私のことである次々に質問を出していく。その度に彼女は歴史的事実を知っていそうな人を探して飛び回ってくれた。その中で解った事を書いてみよう。
1.ここの人たちはどこからか丸太舟でやってきたらしい。(丸木舟が出土している。)しかし魚を釣る船だったのかもしれない・・・・
2.ここはクニという集落であった。
3.ここからは武器が出土していない。王の埋葬品の中には青銅の刀が出てきている。
4.巫女はモガリの儀式も行っている。戦いの占いも先祖の王の意向を伝えると言う形を取っていたようで、鬼道の道具が出ていない。
5.巫女は16歳と若い。王とも族長らとも全然違う場所から見つかっている。
6.王墳墓には14基の甕棺が見つかっている。一般の人とは違った扱いである。
7.ここが邪馬台国ではと言う仮説が立てられたようだが????
8.3で書いたように何らかの理由でここを捨てどこかに移ったと考える方が
しぜんである。
9.そして、此の直ぐ傍に日吉神社という神社があるが、ここは宮内庁管轄の為発掘されていない。鬼道を扱う巫女である卑弥呼が居たとすればその道具立てが出土しなくてはおかしいのである。
私としては強行軍ではあったが古代と話す、良い機会を頂いた。ありがとうございました。