神仏への奉納
大変難しいものである。
実際「すもう」と言うものも神への力の奉納である。磨かれた肉体と力士の技が神に
奉納される。神が怒られたら、神に近い所におられる力士の方々は今回のようにおおきな
お叱りもあろう。
ある有名なピアニストが身体を壊していた時に出した音は天使が天上に持って上がろうと
しなかった。しかし彼女が健康を取り戻した時天使達はかき抱いて天空に消えていった。
私たちは見えないが故に「おそれ敬う」存在の出現をどこかで疑っているのではあるまいか?
いや、昔はそんな存在にきずいた高い感性を持つ者を師と仰ぎ尊敬もしたものである。
芸能の世界こそ真摯にこの現象を受け入れなければただの芸になってしまう。
天満宮に猿回しのさるが、芸を売っていた。一身に親方の言われるとおりの芸をしていた
お金は集められたかもしれない。しかし神と言う存在が、何者であるかはこのサルも
親方も知らない。神に対して、仏に対して、畏敬の念を持てるのは人間だけである。
その為に人は精進し、自らの最高を神仏に捧げるのである。
私でさえも、つたない自分自身の芸など捧げた事はない。神主や、僧侶の方に即されても
自分が納得出来なければ奉納などと言うことは出来ない。
一人朝早く起き、人気の無い所で練習してもなかなか自分が納得出来るものにはならない。
アマノコヤネという神様は大変祝詞がお上手であったと聞く。きっとお上手はとっくに
通り越してどんな神様が見られても天と繋がっているのが明らかだったのであろう。
音ほど怖い物は無い。日本語の言霊はごまかしようも無い。
皆様の御精進を心から応援いたします。 コトネ