今日我が家にみえた方が

5日のブログに書かれたことはどんな事だったのですか?と尋ねられたため書くことにしました。

彼は初めはマスコミの仕事で2日目に一番被害が大きかった南三陸町に行き1週間しないうちに

また仕事で行きました。「これから、東京に帰る所ですが、こまま帰ってよいものか迷います。」

とメールくれた。その後も現地で親しくなった社長さんの所に物資を運び直接手渡している。

「今回は絵本を持っていきました。配給所から帰ってきた親子に絵本を渡したら、配給でもらったというパンをくれるというのです。

とんでもないと言ったら、困るというので、その後行く事になっていた所の方に渡しましょうと約束しました。」

「本はどんな本でも喜ばれます。小学校の教頭先生が今は、心が優しくなる本が喜ばれます。お渡ししましょう。」と快く引き受けられた

そうです。

私もなるべく手渡しの救援活動の彼を助けたいと思いました。

まず、身体が資本です。彼の体に触った途端、左手が痛いすごい反応です。これは、頭の毛に放射能が付いていたのでしょう

ちりちりと手が焼かれるような痛さです。水晶で取り去りました。

その後首の下に水晶を一つ置き、もう一つで施療していきます。もの凄い人数の方が見え非難したところに高波が来た映像や

泣き叫んでいる人、身内の名前を呼ぶ人、はっきり顔はわかりませんが大勢の人が見えます。どれほど恐ろしかったのか感じます。

この日はねむれません、まどろみの時間の中で自分がガリバーのように縄を掛けられ左の方にぐいぐい引いて行かれます。

えっつと思った瞬間「私たちはこうやって動くことも出来ずに波に巻かれていった。」と声がしました。

みなさん泳ぎや海には自信のあった方々だったのでしょう、さぞや、口惜しい限りであろうと、思います。

また、1回目の施療では見事に先端がぼろぼろに掛けました。

これで彼の身体は元に戻ったと思います。彼は心臓が弱っていました。どうぞ、お大事にまた手渡し物資よろしくお願いいたします。