「凄い時代が来ているのですね。このブログを読んで自分は何をしたら良いか
考えました。私は自分を自分自身で再確認したいと思っています。
自分の事は自分しかわからないのでしょうか?
誰も教えてくれないし、誰かに聞いて頼る事を今までしていました。
だったら自分のこと位い、自分で解っていなければいけないと思いました。
しかし、他人の事はどうなのでしょう?「相手を見切る眼力」とありますが、
どうしたら相手を見る事が出来るのでしょうか、NHKの朝ドラでそんな人の
話がありますがあんなことが出来たらいいなと思う反面こわいなと思えてきます。
そんなこと必要でしょうか?」なるほどね。
ブログを読まれた方から様々な反応がありました。
「自分の事は自分しか解らないのでしょうか?」ですがそうです。全てを知っているのは貴方しかいません。良い事も悪い事もです。
だから亡くなると走馬灯を見せられ更に鏡の間というところでまた自分の人生を
反省する。自分の生きていた記録はじぶんのDNAの一部に書き込まれていますから
この走馬灯はそれを見せられるのです。ここで、反省とキズキがあり自分と言う
素の魂のカルマを落とすチャンスを与えられるのです。
生きているうちに自分を知る事、これは日々の反省を寝る前にする事です。
「良心という自らの判定基準をどの位い持ち合わせているか」で答えは出ます。
親のしつけや教育、今までの人生すべて人間関係のなかで構築されたものが
判断基準となります。それが乏しい時人は他人を頼ります。
頼った人が間違いのない判断基準を持ち合わせていれば良いのですがどんな人も
貴方とは50歩100歩のことが多いものです、また実行が伴った場合、それは
貴方しか出来ない事なのです。
「相手を見切る眼力」これはいずれ誰もがキズク能力と言えます。
朝ドラのように極端ではありませんが、誰もが持っています。
感性というものです。人は皆自分からオーラを発し、匂いを発し、
エネルギーを発しています。このエネルギーを感じ取るといやだな
嫌い。という反応を自分が出すようになります。
まずはそこを感じ取れる能力を磨く事です。だんだんその能力が発達してくると
危険には近づかなくなります。
色々聞きたいことがありましたら、皆さんで質問を共有したいと思いますので
月例会にいらして下さい。お待ちしております。