それは、普通の人が見えないものが見えている、能力者が解るかということですか?
コトネはこの歳になるまで沢山の自称見えない世界が見えるという人間に数多く会って来ました。
自薦であれ、他薦であれ、またその見え方の違いがあれ。思い込みであれ、自画自賛であれ、
それが素晴らしい特殊能力と思っている人、怖がっている人、それは色々でした。
その誰もが自分に異様なほど自信を持っていて、びっくりするほど、対抗心がありました。
申し訳ありません。若い頃はそんな世間も面白がっていましたが、知れば知るほど
くだらないです、全て人間としての価値観で評価したいので今は普通の時はスイッチを
切っています。今まであった人でまともな人の人数は大変に少ないと申し上げておきましょう。
また、日本人の感性は魂の向上をするチャンスを平等に持っており
、自由に想像の翼やインスピレーションを飛ばすことが出来やすい人種であると思います。
人が出来ない事を出来るという優越感は思い込みや、独りよがりも作用していることもあるのです。
ウエが決める能力者はより高い完成度を求められます。
そう何回も繰り返して天からのテストがあり試されます。私とて例外ではありません。
皆等しく天に見詰められ、試され反省し、向上させて頂く連続の学びなのです。
これで御終いとか、これで十分とかいう人間が判断できるような生やさしいものではないのです。
ゆえにその能力が幼稚園程度であれ、小学生程度であれ、中、高、大学程度であれ、一生自分が納得
出来なくても容赦のない選別が行われ、納得して前に進まなくてはならないのです。
そこまでの事を知っていて精進出来ている人がいるとしたら、本当に素晴らしい逸材ですので
嬉しく思います。きっと何もかも語り合える親友になる事でしょう。