沈丁花の花
夕方一度家に帰った、丁度帰宅の人でバスの中は満員だった。私より5歳は年上であろうか
かなりくたびれた服装の男性がくたびれた様子で席に腰かけていた。
その人は私と同じ停留場で降りた。私の通勤路は日一日と拳の花が咲き、早咲きの桜の枝が
たわわに咲いている。その一角のちょっと引っ込んだところに今は盛りと沈丁花の花が咲いている。
私より先に降りた男性はふらふらと前を歩いていたがこの沈丁花の花の前で立ち尽くした。
やにわに大きな深呼吸を三回ラジオ体操のように手を広げて気持ちよさそうに始めた。
目を閉じて豊満なこの香りを楽しんでいる。彼の脳下中枢が気持ちよく震えていた。
そうだ、人はこうやって季節を楽しんでいたのだ。
ここ何日かで花は満開となるだろう。春はもう目に見えて来ている。
私の友達(女の人)が八ヶ岳の森林サークルにお手伝いに行くと言って私を訪ねてきた。
彼女はどうにもこうにも富士山の見えるところで住みたいと言って来た。10月までの
アルバイトだと言う。もう50代後半独身である。この決意は固いと言う、他の友達が
10月より先はどうするのと心配顔だが、そうしたら東京に帰ってくる。という。
その人の人生だ悔いの無いように生き切って欲しい。どんな生き方であろうと
貴女自身が良かったと思えれば、それでよいではないか。
私にはまだその勇気はない。