箱根湯本の天山に行きます
明日は中級クラスが10時からありますので、今日は早めに武蔵境を出て箱根の天山のお湯を満喫するつもりです。
昨夜はとても考えさせられる韓国DV Dを鑑賞しました。「私が一番美しかった時」と言う題が 6月の予定表を今日の朝一番早めに起きて、やろう、と言う考えにもピッタリ合って、見る事にしました。
40代のガンの手術を4回受けた美しい主婦
一回目の手術には息子も生まれている。今は彼女の元にはいない、主人の母の元にいる。ガンだからと言う理由で、会えない。
主人は彼女を死を迎える病人として扱う。
彼女は自分の死は家で、家族と共に、美しく迎えたいと願う。しかし夫の望むように死を病院で迎えようとする。個室が空いておらず相部屋となる。
隣に20代の若い女子に付き添った若い男子がいる、彼は主婦である彼女に好意を寄せる。
はじめ、彼の率直すぎる、行動と、優しさに戸惑うが、やがて死を忘れたくても自分に迫るものを感じる。彼女が、ガンの痛みに耐える、今まで1人だったが今は男子が見守っている。各シーンで 命の尊さ、切なさが伝わる。若い男子が若者らしさから彼女に最後の夢を見せてくれる。
「彼女は病人ではなく、普通でいたかっただけです。」と若い男子は主人に告げる。そして彼女は主人に離婚してくれと言う。それを告げられた主人の心の動揺も私には切ない。長い病院の廊下をよろよろ歩く、主人の後姿がせつない。
しかし、彼女はその美しかった時間を胸にタクシーで一番お気に入りの美しい服を着て病院をはなれる。最後はタクシーを降りて一人で花畑の中を歩いて行く。彼女の死を意味しているのだろうか?韓国の死生観に触れた。
死と言うものをこんな形で、見せてくれる。作品も珍しい。勉強になった。タクシーの運転手が「どうしたのです。苦しいのですか?」ととう。彼女の視線の先に花束を抱えて彼女を迎えに病院に行く、男子が写っている。
「私の病は心臓ではありません、なのに今はこの胸が痛い。なぜなんだろう。」と胸をおさえて、苦しみに耐える彼女の姿が、せつない。
女優さんの演技が自然だ、
日常をそのまま見せれば観客は感動する。
確かにそうだ。この作品はそれも教えてくれた。すごく