普通に明るく生活出来る幸せ
えーそんなの当たり前じゃあ無いの?
いいえ。この世に今生きていて、
家族が明るく生活出来ている家庭は
素晴らしくラッキーなんですよ。
情報が多すぎることによる、食あたり状態も過度なストレスを生み出します。
全てを誰かのせいにして生活出来る人もそんなにいないでしょう。人はそんなに寛容では無いからです。
喜怒哀楽といいます。
これは誰かに向かった言葉ではなく、自分にたいしての戒めの言葉だと知るべきです。
昨日の星曼荼羅を描いて下さった籐白魚画伯の奥様
籐白兎様から大変奥の深い、
お言葉をいただきました。
「観る力のある方に出逢えた事は幸いです。暫くの間、出来るだけしまわずに掛けて頂きたく存じます。恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、の世界観です。」
恒河沙(こうがしゃ)恒河にある砂の数ほど
阿僧祇(あそうぎ)数えられないほどの大きな数
那由他(なゆた)極めて大きい数。一千億。
不可思議(ふかしぎ)
不可思議とは 思いはかることもできず、言語でも表現できないこと。 仏の智慧や神通力というのは、それを思い測ったり言葉で言い表したりすることはできない、ということ。 あやしいこと、異様なこと。 数の単位のひとつ。
だそうです。私達はこんな世界感のなかに居るのです。
こうだと思い込んでいると、全く違っているところから溶け出す。それを良くみていくと、いつの間にか違う所で納得して入りこんでいる自分がいる。
全て此の星曼荼羅の様に。
マカハンニヤハラミタジ。