東北大震災の語りべ 1

今夜の講演は是非皆様にも聞いて欲しい内容でした。

まず講演者の吉田 千壽子さんは地元でも大きな美容室を経営された女性であった。

その千壽子さんは緑内障で視力を失い、3月11日は大腸癌の手術をしたばかりで

まだベットからトイレに行くのがやっとの状態であったそうだ。認知症が始まった

御主人を病院にお願いして手術、療養、家での投薬期間であった地震の第一波が

来た時これで楽に死ねると思えたそうだ、娘さんとの約束で地震が来たらこたつの中

と決めていたとおりこたつにもぐりこむ、ここで死ねたら本望と思えたらしい、しかし

こたつにブツカッて落ちる物に手が伸びた、それが抗がん剤の薬袋だったところから

話は始まる。その袋を胸に抱くうち「生きなければ、最後の瞬間まで精一杯

生きてみよう」そう決心し玄関まで出る、彼女は音と匂いが頼りの人だ。

この間40分ほど経過している。津波はその5分後には到達していた。

隣の奥さんが肩を貸してくれた。薬袋のみ、友人の忘れて行った杖を頼りに

防災訓練の時も参加しなかったことが悔やまれたが、避難所のお寺さんに急ぐ。

家が壊れていく音、匂いでひっ迫している危険を察知していた。寺には200人くらいの

人が集まったが、共同生活に大きなトラブルもなく、皆が協力し合った。子供たちは良く

大人のいう事を聞き、年長さんの指示に従っていた。電気の無い生活、ガスボンベを繋げて

夕食は作れた。家が無事な人たちが、備蓄庫から寺に持ってきてくれそれで2か月近く

物資が来るまで助け合った。しかし常にもっと大きな津波が来たら持って逃げれるものは

限られている。1つ目には常備薬、2つ目には写真(遺影にする写真)

3っつ目にはペンシルライト。薬をもらう時の手帳も必要だ。

最低限の心がけだという。しかし何も持たなくても生きて怪我のないことが第一だと

言われる。子供の足音が響いていると嬉しくなりますとも言われた。