神事教育
今日伺った神社さんで、ショックを感じた。
嘆かわしい限りの巫女の応対。巫女姿の女事務員。「ご祈祷の内容をこの中から選んで下さい。」「はい。?この中からしかダメなのですか?」「そうです。」「私はいつも何処の神社様でも世界平和をいのっていただくのですが!」
「内では、この中からしかいたしません。」「へ?」「しかたありませんね。祈願成就でお願いします」こんな対応始めてだ。しかも新潟一番の神社様でだ。しっかり祝詞を上げて下されば一人5000円の祈祷初穂料だっていいのである。
しばらく待たされて、本殿に、私は神様と繋がれば文句はない。若い大学を出たての見習い神職さんが二人。
私は、神職の着物を着てごまかされる、参拝者ではない。神様が嘆いている。
玉串奉納も形ばかり私は生まれて初めて柏手をうたなかった。(神様が良いと言われた。恥ずかしいといわれた。
私はそれに従う。)
巫女の舞もおざなり本物を知るものにとって、参拝者にも神様に対しても冒瀆としか思えなかった。
三人一絡げで15分のありがたくも無い祝詞を聞かされたら私で無くとも怒るだろう。
それに巫女のたびの裏が黒いのはなぜ?ここは朝の清掃をして居ないのか、掃除の仕方も知らない神官たちなのか
言いたくないがこれで三人で15000円「坊主丸儲けと言う言葉はこの神社では何と言うのだろう。」
私をその神社にお連れくださった方に悪気はない。「この地の衰退はこの神社の全てが語っておりますね」
神社に吹く風は爽やかで無くてはなりません。清々しいとは神社さんの境内を流れる風のはず。