マルタアルゲリッチご存知ですか?

世界的大ピアニストである。世界の巨匠の中でも女性でこんなに輝いているピアニストはいないだろう。私とアルゲリッチの中を取り持ってくれたのはアルゲリッチ内弟子であり、愛弟子の伊藤京子さんだ、平成1年の頃伊藤京子さんの従妹さんのご紹介で会うことになった。我が実家にいらした京子さん親子は芸高、芸大後輩の姉だと知ってますます、信頼して頂けた。そうあの頃はお母様曰く「心の腱鞘炎でございます。」と言われていた、そのお母様も92歳におなりになる。嘗ての宮内庁長官が親友とあって未だにその矍鑠ぶりは異彩を放つ。

そんなこんなでもう、25年のお付き合いとなる。

大分県の別府にアルゲリッチ音楽祭を立ち上げた時には「別府の奇跡」とまで言われ世界を驚かせた。
今年は「しいきアルゲリッチハウス」が施工され、こけら落としコンサートがもようされ、東京では
昨日ピノキオコンサート支援チャリチーコンサートがもようされた。

友人たちと東京オペラハウスの二階の桟敷席に席を確保した。ウエから演奏者を眺めると言う何とも贅沢な席を取って頂いた。お客様はそれぞれに、音楽に造詣の深い方たちである。

マルタアルゲリッチと伊藤京子さんの2台のピアノのソナタとコンチェルチーノは会場のピアノの専門家たちの溜息交じりのアンコール拍手でその素晴らしさが良く解る。

最後のピアノ五重奏曲は第一バイオリンに清水高師、第二バイオリンに大宮臨太郎、ビオラに小峰航一
チェロがユンソンというお膳立てだ、ピアノはもちろん、マルタアルゲリッチである。

ピアノがグングン弦楽器を引っ張って行く。音と音の饗宴である。生の楽器からでる音、一期一会で
今しか出会えないその場その時、そして、70歳のマルタアルゲリッチ。後何度こんな機会があるのだろう。

マルタアルゲリッチが初めて別府の地を踏んだ時私もご一緒していた。もちろん巨匠の施療の為だ。
しかし、その時忘れもしない母が箱根の旧街道を谷にまっしぐらに落ち重体と言う電話がかかってきたのだった。その母も今は88歳元気である。今思い出せば、あんなことも、こんな事も思い出される。25年の歳月の速さはただただ感慨深い。

私の人生を振り返ると本当に心の贅沢を周りの方から分けて頂いている。何と幸せな事でしょうか。
皆が幸せに輝いて欲しい。

昨晩の私の脳下垂体も松果体も最高に働いていた。体は熱くなるばかりでなく上昇のエネルギーと下降のエネルギーのバランスによって恍惚の時間の中で心が満足していた。