日本語とは面白い。
今日初級講習での事、「ミゾオチの所が急に痛くなるのですが、どの臓器でしょうか?」
と言う質問が飛んだ。そこには、臓器は無いんだと思いますよ。昔から、「癪(しゃく)にうれしい
男の手」と言います。着物をギュッと着ているとミゾオチが突然痛みそこに圧力を
加えられると、治ると言う話です。「癪に障る」などと言う言葉もあります。「癇に障る」という
類似した言葉つかいでもあります。どちらも病ダレの漢字です。ですから昔の人は神経的な
ストレスなども病の内と考えたのでしょうね。
歌舞伎の「なる神」と言う芝居の中でも美女が行者を「癪」が痛いと言って誘うシーンは有名です。
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辞典や辞書や、アイパットなどを酷使すると、なっとくの解決策が見つかるものです。
私はここで、弟子とはという定義を見つけました。
「弟子」は多くは師との1対1の関係を基本としているのに対し、
「門弟」は教育機関、養成機関として開かれた師の門に入った人々の意味で用いる。
とされています。「門下」「門人」「門下生」も同じです。
この定義に私は「弟子」と呼べる人の条件の中に私と一緒に住んで私の全てを
吸収する人と言う事を条件を加えたい。私は良い事も悪い事も日々悩んでいるただの
おばさんです、こんな私でも良くて、学びたい人。周りからも許可された人。
と言う高いハードルを付けたいと思います。
私は13面体の教育機関の中で一緒に磨きあえる同志が欲しいのであるから
今は多少凸凹が有ろうと皆素晴らしい門弟達であります。
誰が一番も二番もないのです。東京だからも地方だからもなく、日本だからも海外だからも
ないのです。見える見えないではなく、どちらかといえば、「信頼できる人物であること」が
条件です。