本物のショパンに会ってきました。

アマノコトネのブログの2014年11月9日に書きましたショパン(現代ではアレクサンダー・

ロマノフスキーというピアニスト)にあって来ました。

と言ってもピアノのコンサートに行って来たのです。

1995年妹に「この世にショパンはいないの?」と言われ

「ロシアあたりに住んでいる12歳ぐらいの少年で、アレキサンドル・ラムスキーというらしいは。」

と答えたそうである。その吾人を妹は探し続けていた。

コンサートが始まる前から彼女の興奮は止まらない

「彼はチョコレートが好きよ」

と教えると、ゴデュバのお店の前に出る。「は・・やっぱりすきなんだ。」と私、

お土産はチョコレートと素敵なマフラーを買い会場に向かう

コンサート会場は四谷の紀尾井ホール500人席が満杯である。

どんな音を聞かしてくれるのであろうか?

演奏が始まる。初めの曲はベートーベンの月光

「こんなベートーベン初めて聞きました。」流れる、音が絡まる。「うまい」

次は叙情的なソナタ30番ホ長調ピアノの調律のせいか低い音が響きすぎ

この中で何かを感じている私に気が付く、まず「月光」と言う曲をショパン

大変好きであったようだ、この曲を聞きながら自分は死ねたらいいなと言うくらい

好きであったらしい。アレクサンダー・ロマノフスキーさん自体良く弾きこんでいた。

休憩が入り身体を浄化された人たちがトイレに並ぶ、妹はCDを買いに走った。

次はお待ちかねのショパンだ。バラード2番4番はショパンらしい叙事詩を元に作られた

曲である。「ショパンが自分の曲をこう弾いて欲しいと思ったのにだれも自分の思うとうりに

弾いてくれなかった自分はこういうふうに弾きたかった。」これがショパンのカルマだった訳ですね

しかし、ロマノフスキーを探して「間違いない」と小声で言っている妹は嬉しそうだ。

後で聞くと芸大の学生の頃教授には「君はショパン弾きだね」と言われた妹だが

下稽古を付けてくださる先生の曲解釈を「違うんだけど」と不服だった所をロマノフスキーが

私の解釈と同じように弾いた、私の後ろのサーポーターであるショパンの姉もきっと

良く聞いていた音だったのだろうと感慨深げに言う。

最後の「ピアノソナタ2番変ロ短調「葬送」

皆さん良くご存じの曲である、私は前から3列目に座っていたのだが初めから

席にいた2名の男性が泣きながら手御合わせ祈っている姿が目に焼き付いて

離れない。何故かわからないが我々二人も泣いている彼が弾いている

最後には彼の顔が老人に見えた。葬送の曲なのに美しい旋律が何度も繰り返される

中のショパンが言う「このメロディーは子供の時兄弟姉妹と美しいメロディーだねと

作ったものだ」キラキラした音のシャワーは「きっと自分が死ぬときにはこんなに音が

迎えに来てくれると思うよ、」として楽譜を書いたんだ。

妹はサインを一番でしてもらい、思いのたけを書いた手紙とプレゼントを渡し

「チョコレートです」と言うと彼は青年の微笑を返してくれた。「やっぱりすきなんだ」

興奮しながら冷たい北風の中を四ツ谷駅まで歩く。寒くない、電車の中は汗をかいた。

「間違いない彼はショパンが入っている。」涙でぬれた顔を今度は汗で濡らして

まだ興奮が続いた。