午前10時から

今日は素晴らしく勉強になる一日でした。

人間と言うものの勉強です。

3月11日は私たち一人一人に大きな影響を与えました。

皆この日を風化させることなく思い出しています。それは、東京都内の人間にとっても

恐ろしい経験だった事には間違いありません。その経験があるからこそ今皆が生き方について

考え出していると言っても過言ではないと思います。あるお寺さんに被災されて家も店もお墓も

お寺も流されて跡形もなくなり、東京の親類を頼り出ていらした方がみえられご供養をお願いに

いらっしゃり「お寺も、お墓もご先祖も何もかもなくなりました。あって当然と思っていたものが無くなるということは

とてつもなく寂しいものだと気が付きました」といわれたそうだ。

私たち東京のものたちはそう言われてもまだまだ他人ごとだし、実際にこんな経験をした人の気持ちにはどうしても理解しがたい

ものがあります。しかし今度は我が身かもしれない。そう思えるようになったことも事実でしょう。

本当に想像がつきません。居ても経っても居れない気持ちで原発5キロの危険区域と分かっていても毎日お経を読みに回っている

お坊さんがいらっしゃると聞きました。「自分は放射能に被ばくしてもいいのです、そこで亡くなった大勢の方に支えて頂いて

私は今ここに居ますので。もちろん家族は非難させました。それでも居てもたってもおられない気持ちで読経いたしております」

と言われたそうだ。頭の下がることです。

生きている私たちが何が出来るのか考えてみたいと思いました。