果たして何が大切なのか
自分が自分の言いたいことを言って満足することが怒る側にあったとしたら、
怒られる方はたまったものではない。
いじめる側に相手のことより自分の満足の為の言葉が使われたとしたら
それは罰せられるべきでありましょう。
今の子供たちを見ていると、いつもいじめられる人が逆転する大どんでん返しが
昔のように無い事に驚かされる。
昔私は転勤族の娘ゆえに2年に一度は学校を変わっていた。全く知らない環境に突然
飛び込んでも平気だった。一人でいることに慣れていた。
多少のいじめらしい行動があったとしても、いずれ自分の中に取り込んでやる。
と言う手順も位置関係も解っていた。まずは手始めとして、とてつもない良い成績を取り
先生方を自分の側に引き付ける事から始める。喧嘩には絶対に勝った。
男子も女子もない。黙っていても静かな威圧感を持って自分のポジションをキープした。
仲良しごっこで群れる事をきらった。それが自分を知り、自分を守る方法だった。
今でも一人が好きだ。
此処まで生かして頂くと大切な事と、どうでもいい事の境がはっきりしてくる。
私の中ではっきりしていることは、「人が好き」ということだろう。
また、カルマを作らない生き切り方を身に着けたせいで、かえって他人が良く解る。
「そこまでこだわると、自分を見失いますよ」と言うくらいこだわりの強い人をみると
思わず、「ご苦労様です」と言ってしまいそうになる。