美しいもの、美しい人、美しい心根、美しい所作、美しい言葉、美しい笑顔、・・・・
私たちの周りに美しいものは数多くある。
この美しいと言う感覚こそ私たち人間の持つ特殊能力の一つであると思う。
久我山のお寺の源良院さんには国立博物館に所蔵されていた「アイヌの首飾り」と称する
美しいブルーの首飾りがある。昔も今もその美しさに魅了されるのは人間誰しも同じなのだが
ご住職が言われるには人の念の絡まり付きが濃すぎると言われる。
この美しい首飾りは当然時の権力者の酋長が持っていた物であろう、この首飾りをしたものが
時の権力を得た。アマテラスの冠や、アマテラスの鏡などもこの権力の象徴に他ならない。
今ではお金持ちであればどんな装飾品でも手に入れる事が出来る。
太古の昔はだれもこの様な貴重なものを持つ事は出来ない。
実際に命と宝石どちらかをよこせと言われても宝石を取る人は今のこの日本にはいないだろう。
よっぽど貴重なものでない限り人は手放すだろう。
宝石のコレクターがいた、91歳の御歳だ、塩の中に塩伏せしてお預かりした
トルコ石のネックレスを源良院さんに取りに見えた。この石もお預かりしたときには
「これ以上暴れるのなら、富士山の火口に投げ込むことを許して下さい。」と言って
預かったものだ。今見るとお線香のにおいに清められ、清流の流れに清められして
かなり、おとなしくなっている。不思議なもので手の上に乗せて、私の首飾りと重さを比べてみると
私の首飾りの方が重い。実際に計ってみるとトルコ石の方が2倍の重さがあった。
源良院さんのお力であろう。かなり鎮まっている。他の石とは一緒にはせずどうか、お盆の上にでも
置いて欲しいとお願いした。やってくださるであろう。
このコレクターから1万年前のインドから出土したガラスの原石を頂いている。
彼女がインド旅行した時に求めた貴重なものだ。霊視するとかなりの苦労をして
断崖絶壁から集めたものだと言う事が解る。しかし、恐ろしいそのパワーであるから
私は決して身に付けたりしない。会員の方で13面体の初級コースの方の石のパワーの講習では
お見せするつもりである。
美には執着が伴う。美しくありたいと言う人の努力は頭が下がる。
私の何にもしない天然そのまま、美容法は古代人もビックリかもしれない。
しかし、ここの所肌のことを気にしている自分に、多少人の前に立つエチケットくらいの
気の使い方はした方が良いと忠告してくれる友達も多い。