歴史モノを書いています。
人とは何なのだろう。
物を書いている、特に歴史モノを書いて、調べものをしていると、ため息がでる。
一人の人物に対して様々な人が情報をくれる。大変良い人であった。と言う人も居れば、極悪非道な人だと言う人もいる。果たしてどちらであろう。
私はそんな時私の殻にこもる。
何時も閉じている。私の耳の栓を開けてみる。疲れていると、眠気に襲われる。まるでその人物が自分の事を明かさない為だ。そうでなければ、徐々に相手が見えてくる。
人間より、神様の方が、私は好きだ。
人間は定まらず自分をよく見せようとする。
自分に不利な事は、自ら答えようとはしない。生きているのと同じ反応なのだ。分かりやすいが、真実を書かないと、辻褄が合わなくなる。
小説は、作者の想い込みで、好きに書くことができる。しかし私のような人間は、なるべく事実を知りたい。そう私自身がである。贅沢な話しだ。
今は権力によって翻弄される女性たちのことを題材にしている。結構凄い。人間て、怖い。平気で人を落としめる。挙句自分では手を下さず、殺人者にやらせる。コレが事実だとして、その人は死んでからどうなったんだろう。などと、考えているのと時間はさっさと過ぎていく。モノを書く時、
相手をよく理解した上で、考えなければならない。
その人にとってその時代、その生き方しかなかったのだろう。悪事は誰々の為にやる物。やった。それが正当であれば、読者が、満足するのが、本を書くモノの醍醐味ともいえる。
ちと、トノオシテには背いた感がある。
今日は一時から「めのみち」がある。
皆さん白熱した話しについ時間を忘れた。
5時東京駅だったのに、申しわけないな。
様々な年齢の素敵な人達が、語りだした。
皆さん個人として、ここでしか、話せない事をはなした。そして最後は瀬織津様の有難いお言葉があった。質問は赤ちゃんを育てる自信が無いが産みたいと思います、どうしたら良いですか?27歳の女性からだ。
生んだ子供が貴女を育ててくれます。安心して産みなさい。