戦うと言う事
夜のドウダンツツジ。そそと咲く。
戦う。
人と人が殺しあう、合戦の場所はどうなっているのだろう。
関ヶ原に仕事で行き、霊体に憑依されて帰って来た人も居た。
又、日本兵士の御供養の為に戦地に赴いたお坊さんが未だに戦っている英霊を見たと言われた話。
戊辰戦争の中の会津戦争の戦いの場所で聞いた、戦いの声。其れにより其処で戦争があった事がわかった。地元の人はそんな記述も無いまま、今にいたっていた。
未だに戦っている霊体さま方。
此の地上で戦いで亡くなった方はどれほどいるのだろう。
今日も、宮島で亡くなった侍のお焚き上げの方から
其処であった戦いの様を聞く事になったが、ここでも、死んで肉体が無くなっても戦があった。
何故成仏していないのだろうか。数多の宗教家達が
ご成仏を説いて回られて居るはずだ。
何故だろう???
ヤハリ霊魂は一つの塊になる。
戦いで殺す殺されると言う、異常なエネルギーは
その戦場の土、土地に染み付いていく。
其処に「自殺地獄」が作用するのではあるまいか?
何度も何度も死ぬ殺す殺される。が繰り返される事は自殺の留まる事のない繰り返しに似ている。
確かにこうなると祈りは効かない。
内側から仏の世界を所望されるか、戦いを終わらせる事が出来る方がもう戦う必要は無いと言われば戦いは終わりご成仏成されるはずである。
まだまだ考察は続けたいが、三次元の仕事が待っている。