ウエから言われた「生き切ること、死に切ること」

私の素晴らしい友人の一人D.H医師が久しぶりに生き切る事に定義をくれた。

週刊現代で将棋の羽生名人の生きているかぎり続く将棋人生をマラソンにたとえて

こう言っている「走りきったときには凄い解放感があるはずです。それが何歳の時

になるかは予想できませんけれども。」とあったそうです。

D.H医師は「私は今生きて活動しているのは確かに無理もあります。でも

私は充分生きました。私も死の寸前か働けなくなって引退する時の解放感を期待

して生きているような気もします。一生懸命生きればいきるほど解放感を持って

あの世に行けるのでは。」と言うメッセージをくださった。

やはり生き切っている人は解かっている。「魂を燃やしてほしい。」自分のお役目を

充分果たしきって喜びと満足の内に肉体とは離れカルマ(こだわり=執着)から解放されて

死に切る。「大きな光の地球路の道すがら。」なのである。生という一つのプロセス。と

同じく死というプロセスを力まず静かに受け入れましょう。

「ことねさん私はどうしたら言いの?」ベットにやせ細った身体を横たわらせた

若い死を目の前にした女性に言われた。

「楽になってください。」私も手伝ってくれた代替医療の医師も祈った

「この人の魂も肉体も楽になりますように。」一瞬痛みが消えた。本当に美しい顔の彼女がいた。

どんな時でも人間は全てを受け入れる事が出来る。それまであがいていいのだと思う。

中途半端は自分の魂が許さないのではないだろうか?

私は私の基準で人間ウォッチングをする。100%〜120%の人間を探している。

残念だが「いない。」