たかはしじゅんいち、東日本大震災報告会終了

総計80名の方が彼の報告会に参加して下さった。

昨日の熱気がまだ頭に残っている。こんなに忙しい写真家の熊本報告会、それでも九州全域から

集まってくださった皆さんに感謝したい。本当にありがとうございました。

私にとっても懐かしい人々が集まってくださった。最後までご挨拶が出来ず、申し訳ありませんでした。

今なお残る惨状の映像ただただ「本当ですか」という一言しかない。(それでも彼的には抑えたと言う)

初めは、私の感じた「同じ日本で起こったというのに、この認識度の違いは何?」

しかし、話を聞く皆さんの顔を見がみるみる変わっていく。

「われわれ日本人は何をしたらばよいのだろう」と言う問い。

彼は言う「どこにでも被災者はいるのです。今回の震災で一人につき300人の人で支えれば良いのです。

出来る事からやりましょう」今度の被害はただ事ではない。いまだに毎日小刻みに揺れは続いています。

大の男に仕事がありません。復興も避難所から仮設住宅への移動も始まっています。しかし、未だに

海にながれた死体捜索は続いています。堤防は補修工事が始まっていますがもしまた同規模の地震

高波が来たらひとたまりもないでしょう。義援金はまだまだ足りませんどこに消えたのでしょう。

ガレキの撤去はまだまだです。

国は無策です。きちっとした組織の中でボランチアが必要なところに行くべきでしょう。

治安はやっと保てていると考えていいでしょう。

テレビの報道規制本当にあるんだ。情報は真実をとらえるべきだ。こうやって話を聞いて納得したい

ものだ。今回はもっとこの会場に来たい人がいた。都合が悪くて来れなかった人は残念であるが

参加した人々は皆心に何かを残して帰られた。

そして後日談がある。たかはしさんはニュウヨークで部屋をシェアーしていた時強盗に会って大切な友人

を亡くしている。その友人の故郷がこの熊本だった事を昨日の夜思い出す。お墓も熊本市内だった。

お墓参りしたら丁度20年経っていた。ここに来てほしかったのかな?

いや私は彼の口から何度もこの友人の事は聞いている。

「いやあ実は自分がすぐ支援に新潟に入ったのにも意味があった。生き残ったもののつらさを解ってあげ

れるかもしれないと思ったからなんです。」20年前の事件は彼の人生の中で鮮烈だったに違いない。

色々な意味のあった報告会でした。

ここで改めてこんな有意義な会を開いて下さった宮崎セバースチャンさんと奥様に感謝したい。

ありがとうございました。感謝です。