老い

人間生まれれば必ず老いと言うものに向かって生きて行く。

そんなこと誰でもわかっている。否応なしにそこに持って行かれてしまうのである。

昔は人生わずか五十年。今は八十年は皆さん目標としているというか、大体そこまでは

と思っているようだ。まあそれ以上人生のある人は凄いといわれている。

この老いと言う事は永遠のテーマだから、今書いている本に書いてみようと思ったが

なんせ、まだ私も老いの域には達していないので大先輩であるS・A先生にご教授願おうと

「我が老後」シリーズで「これでおしまい」ー我が老後ーと言う本が十一月十日で発売に成ったので

勉強させて頂こうと買い込んだ。先に読んだ母が「痛快痛快スカッとするから素敵だわね。」と感激していたが、

我が父と一つ違いとは思えない頭の良さと、記憶力の素晴らしさに私などいつも舌を巻く先輩であることは

確かである。「オール読物」の二00九年八月号から二〇一〇年十一月号までのシリーズものである。

痛快な文章をご紹介したいところだがなんせ著作権法と言う難しい法律があり本を買ってお読みいただくしかないのである。

赤いセータの良く似合う先輩は文章の中に老いと言う言葉を沢山ちりばめておられるが、他の人たちに比べればお若い

としか言いようは無い。前につんのめくりながら兵隊のようにお買いものにお歩きになる先生とお付き合いしたことは無いので

それは、思うように足が動かなかった期間の話ではないのかと思ってしまう。遠藤周作先生は狐狸庵先生だからと

いつも冗談を言い合っておられたようだが頭の聡明さから行けばS・A先生は60代と言ってもおかしくないのである。

つい他人だと良いところを見せてしまって後が疲れる。とよく言われるので嘘の嫌いな一本気の先輩としては

大そう気が張っておられるのであろう。今年ももう年末である、本の中に先生がこよなく愛しておられる、

ストーブの上のおおきな湯沸しのヤカンがほっとした空間をつくっている。

あの大きな天井の高い御家にお邪魔したくなった。