写真とは何なのでしょう。

3月15日は朝から実家に行き、実家の写真の整理をしました。私の写真も実家には沢山預けてありました。色々な写真が出てきました。

その写真を見ながら、私の育った環境の良さに感謝しました。誰もが与えられる環境ではない。こんな環境を与えてくれた両親に感謝です。

写真とは個人の記録。素敵な、個人の記録です。この記録を大切に残そうという気持ちが無くなれば此れも消滅して、しまう物ですね。例えば両親の死という事態が起こった時。現実にこんな物(今日は写真ですが)との、別離が残されています。父や母の昔の記録も、余り量が多いと我が家に持って帰れません。「パパの匂いのする家に、帰りたくない。」それほどに父を愛していた、母の気持ちが痛いほど分かる写真の整理でした。そして両親にもう一度感謝した、時間でした。

母は今青梅の慶友病院に居ます。

彼女の決断で、彼女の人生の全てが決まりました。

その決断の全てを受け入れて私達姉妹はやってきました。作家の佐藤愛子先生が言われました。

「人は、気の毒な人生を送った人の作品が読みたいのです。とても良い暮らしをした人の話は聞いても自慢話しにしかなりませんよ。」

そうなのです。確かに神さまは一人の人間に全てを与えられては居ないのです。人生の前半で大いに努力した人間は、後半の人生の巻き返し事態に充分に対処できるのです。父の写真には、五高時代の若者の写真もありました。第二次世界戦争の時の軍服姿もありました。素晴らしく凛々しい姿でした。そして原爆が彼の家族と彼の人生を変えていきます。

 

一人感慨深い時間を過ごしました。今を与えてくれた、両親に感謝です。