法然上人の教え三心
作家の五木 寛之先生のお言葉を借りれば「法然没後800年と言う
この時、正に末法の世を呈している、昨今の状況を見るに今、
もう一度法然の教えが必要なときではないのか・・・」といわれた。
法然の生きた平安末期から鎌倉時代の世の荒れ様は巷に飢えた人々の
死体が転がり今とは比較にならないほど酷かったと考えるが、
人々の心の荒みようは同じように酷いと言う事なのだろう。
この地球は「思念の星」人間の深い思いで動く星。
法然と時代は違うが我々凡夫は深く「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば
阿弥陀の基に成仏することが出来る。という教えには、
深く信じる心(深心)誠実な心(至誠心)願往生心=深く極楽往生を
願う心(廻向発願心)という三つの心が必要だと説かれている。
そういう意味で、もう一度先人たちの深い教えを紐解くのも良い事ではないかな・・・
法然上人の時代、凡夫にはそのころの仏教が難しすぎ、極楽に往生できるのも
難行苦行を積んだものしか向かいいれられないとされていたとすれば、
この「南無阿弥陀仏」は求める人全てに救いであろう。
しかし、極楽も、神も信じていない今の世の凡夫を救えるのか?という
疑問にはこの法然上人の教えである、三心の教えの「誠実な心を持って極楽を真に願う」
ということが出来れば可能かもしれない。
我々日本人は今まで構築してきた全ての文明の上に更に素晴らしい文化を
構築出来る国民気質を持った人間たちのはずだ。こんな世の中なのだから、
捨て去るのではなく、真なる新しい文明が築かれても良いはずである。