何の為に生まれて来たのか?
少なからぬ人がこの疑問を抱えて生活している。
しかし、人はその人に備わった器があり、その器に命の水を
注ぎ込む、これを精進という。するとこの水が表面張力をお越し、
鏡の反射のようにキラキラと光る。この器の水を満たさなければ、
どんなにあがいてもウエからは見えない。その状態になって
人は自分の使命に気が付くものだ。人はそれぞれ自分の器に気が付くべきなのだ。
隣の人の器を見てうらやましいと思ってもその人に与えられた
器の質も大きさも違うのだから、比較してもしょうがない。
まずは、自分をよく知り、自分の得意な分野や、集中力の力量、
包容力や、指導力の幅も自分の感性を持って理解するべきだろう。
「あの人のようになりたい」と、目標を定め、努力することは
素晴らしい事である。しかし人を陥れたものは必ず同じ思いをするものだ。
人の為とつくしている人を、バカにするようなことがあってはならない。
自分磨きをしている人を誰が笑えるだろうか?
苦労をする人間は成長するチャンスをもらったのだ。
しっかり悩み、涙を流し、他人の苦しみや苦労を自分が解る事によって
他人の事を何だかんだと言う事が出来るかどうかに、気が付くだろう。
天から見られて素晴らしい人間であるかどうか、自分に問うて見るべきだろう。
何の為に生まれて来たのか?の回答はここまでやりおえれば、おのずと解るものである。