物の見方、考え方。

これが、人によってこれ程、一定方向で無い題材である、「カタカムナ」の面白さに

昨夜はうなずけた。

カタカムナ」の発見者の楢崎皐月氏の事を、詳しく知りたいと思いヒカルランドの本から

カタカムナ《源流》日本人よ!」を読んでみた。「カタカムナ」と楢崎皐月にはどうしても

私の直感で何か、きな臭い、普通の話では無い何かが感じ取れたからである。

芳賀氏の講演会にも自治省の人や、自衛隊の人たちが出入りしている。

ただ単に普通の勉強会では無い事は感じ取っている。しかし私はあくまで、世の為日本の為になる

秘密が知りたいし、知り得ると思うから、一語一句聞き漏らさないように勉強している。

しかし、楢崎皐月が何故満州吉林郊外の北山にあったニャンニャン廟の道士蘆有三の話は

嘘であろうと推察していた。

しかし彼はなぜこんな嘘話をまことしやかに言わなければならなかったのであろうそんな思いを

抱いてこの本を読み進めた。

7月31日ヒカルランドパークで著者、北 一策氏の講演会が行われたのである。

彼の仲間は物理としてのカタカムナの事は十二分に承知の方々である。

またきな臭い政治の世界も現在の世界状況も良く理解できている人々である。

何を喋っていいのか、何を喋ってはいけないのか

も十分わかっている人々である。一歩、間違うとどっぷりとそちらの世界に

染まりそうな雰囲気が立ち込めている。


実はカタカムナの5月の講義が終わった後、深夜の瞑想で楢崎皐月氏に

お願いをしてみたのだ、

楢崎氏は残された我々に何を本当は伝えたかったのか教えて頂けないか、

その時はスーッと眠りの世界に誘われた。そういう時は現実世界に形として現れる。

これが、この本である。本は一読したが良く解らない。嘗ての戦中、戦後を生き抜いた

日本人の男たちの生き様が書かれていた。

すると今度は講演会が書かれている。よしと思って友人と聞きに行く。

懇親会に出て「カタカムナ」の多面性に気が付く。

ここでは、芳賀氏の所の方向性と違う角度から「カタカムナ」が語られていた。

戦前、戦中、戦後と脈々とつづく、我々一般人が知らない知る事のない世界がかたられていた。

これが、楢崎さんが私に伝えたいものであるとするならば、何かのアクシデントが起こるだろう。