星曼荼羅
凄い事が又起こりました。
コレは籐白魚画伯が一筆一筆描いてくださった、貴重な星曼荼羅です。此の曼荼羅は立派な木箱に入った価値ある一品です。
2月3日に届いたのですが、わたしの多忙さで、今日開ける事に成りました。
開けた途端余りの素晴らしさにただボーッと見つめていました。
木箱のなかに画伯からのお手紙がありました。
其れを読んだ途端物凄い因縁を感じ震える思いと言うモノが私にも有る事にまず驚きました。そして今日の朝山口のM女史に伝えた、花山院(花山天皇)の崩御の場所である、桜山の南原寺という古刹がある話をしました。花山院は六甲の瀬織津姫とも関係がありますから、M女史は取るものも取り敢えず南原寺さんに行き、お焚き上げをしたのです。
しかし、
第一句
人は皆
我が意をしらず
けむりとて
西国の地に
浄土求めん
第二句
愛しびと
桜山こそが
我がいおり
花のいおりに
香はいらじと
第三句
あきくさの
枯れて久しく
成りぬれど
また匂いたつ、
時ぞうれしき。
と言うお歌がまいりました。
花山天皇が此の地の長であられるようです。
そこから読み取れますのは、花山院は色々な思いがおありになったかたですね。もう一度秋吉台の山焼きをご所望のようです。
仏教に救いを求めるも、まだ現世が色濃く残っておられた様です。
山焼きのお焚き上げまでに、ご自分の家来であった僧侶達をお連れになるおつもりのようです。
その為のお焚き上げ延期と、捉えましょう。27日に決まればその時が本当のお焚き上げになるでしょう。と言う事で一応落ち着いたいたのですが、
画伯の手紙から
この星曼荼羅は陰陽陵(今の文部科学省の様なところ)
安倍晴明様達が貴族や天皇に進言した瞑想の道具だそうです。
天変地異は天皇や皇族の責任とおもわれ、その異変を先に知り、又民衆をいかに安心させるかを考えた、日本人の心だそうです。この考え方を中心にして陰陽師達は寺社の建設の場所や時、歴や祭りなどの政治を決めたと言われています。
この星曼荼羅の力を花山院様はお使いに成りたかったのではないかと言う所まで頭が周りました。
ただただ感動を覚えずにはいられませんでした。
この星曼荼羅にきっと大きな力がある物だと思います。
山口県桜山南原寺は聖徳太子とも神功皇后とも縁の深い場所なのです。