衣・食・住
これは、「人間の生活の基本中の基本である」と教科書で習った気がする。
その原型を弥生時代に観れば米を作り定住生活を行う。
住まいも動物や敵から身を守ると言う岩屋住居形態から敵から身を守りコメの傍で生活するという
竪穴式形態に変わっている。共同生活して互に助け合うと言う精神も生まれたであろう。
着るものは始めは毛皮だったろうが、そのうち植物の繊維に変わって行く。
神話の世界に出てくる織姫(布を織る女)着るものとは裸の身体を守ると言う意味で
大切な道具である。この布を身にまとうと言う形に変えていった女性もいただろう。
初めから針や糸を考案していたとは考えずらい。生活の知恵の中から生まれたのだろう。
それに伴い家族の仕事の分担もはっきりしてきたのではないだろうか。
小さな家庭と言う集団の中でしっかりした家族愛も芽生えたであろう。
どんなに世の中が変わっても、この3つの大原則は変わらない。
現代の都会はどうだろう。
何時でも、美味しいものが頂けて美しく安い着物が手に入って、住まいも心地のよい環境を
お金さえあれば手に入れられる。そんな都会人は骨抜き状態かな?
この「お金さえあれば」ばかりに注意が向くであろうが、これ以上の生活を望めば、流通上
お金と言う便利なものを作り出したのだから、お金も大切なことは間違いのないわけだ。
しかしこのお金に人間があまりに固執するがゆえに「お金が一番」などという考えを
持ってしまったのではないだろうか。お金があっても食べるものが無ければ私たちは
貧するのですよ。日本の国内が満足しての海外援助なら日本人も納得するでしょうが
日本の国内がこんなに不景気だと嘆いているのに、何故なんでしょうか?
日本の中にお金が余っているのでしょうか?日本の発言権がお金だけだとしたら
この国に将来はあるのでしょうか?消費税で年収500万の家庭はこれからは35万円
の税金がプラスになるらしい。ますますお金は使わなくなりませんか?
昔を振り返って色々なものを削除していくと、最低限の衣食住があれば生きる事は出来る。
しかし、人間は生きる希望が必要だ。夢も必要だ。
コトネとしては、自分の生活を振り返って自分の生活や人生を膨らませるのではなく、
スッキリと整理していこうと思う今日この頃でした。
どんな時代が来るかは神のみぞ知るところです。私はなるべく穏やかに時と時代、天候と地震、
いらない物の排除が出来るようにと祈るのみです。人の身体をもってして出来る事は全てやら
せて頂いております。今ホッとできるのは暖かい心ずかいと、やさしい愛だけですね。