時間の使い方

私たち人類に与えられた時間は3次元を見る限り、一日24時間と決められている。

しかし、ゆとりの時間と焦っている時間、何かを学び掴み取ろうとしている時間、

それらの同じ時間であるのに、大きな違いと満足度の違いがある。

「宝くじ」を想像して下さい。買った時皆さんどんな時を過ごしましたか?

買うと言う行為は皆している事。しかし、その心持ちにおいてどうしてもここで当てなければ

と思う人と、どうせ当たらないのだがと言いながら買う人、との空気感の差は歴然とある。

濃いと薄いとここでは表現しておこう。発表を待つ間にもそれはあるだろう。

時間と空気感は結果を生むと言っても間違いなかろう。そのわくわく感が発表まで

持続して当たったらこうしたい、ああもしたいと想像力を膨らますのである。

早々、会員の方から「僕の乗ったタクシーさんが、こんな事を言ったんですよ。」

『私、貴男がタクシー人生最後のお客さんです。』「そうなんですか?」

『実は宝くじが当たりまして、これを機会に家族で田舎に帰って、暮らします。』

ということだったそうだ。

宝くじには当たったことが無いがもし当たったらと想像をたくましくする時間は楽しいものである。

そこを、当たらないと決めつけず。夢を見る時間を買わせて頂いたと思えば嬉しい事である。

ある老夫婦がいる。主人の方は1週間に1度は絵画教室に通う、妻はこの主人のお守が出来るのは

自分しかおらず、義務だと夫に寄り添っている。悠々自適のこの老夫婦には

色々な時を超えてきた重みすらある。また過去のことは良く覚えている。頭が下がる。

先日こんな時間の過ごし方をしていた。自分の家の狭い庭の紅梅の木にミカンを半分にして

餌場にしている。彼らはメジロが来ると言う近頃数が増えたらしいが、ツガイが2組

独身が1羽だそうだ、メジロが来た時は目を細めて見ている、ところがヒヨドリ

この餌場のミカンを狙ってくる。すると夫婦してこのヒヨドリを追っ払うのである。

その攻防にまじめに時間を使っている。いいよな、幸せだな・・・こんな時間の使い方

私は出来るようになるのだろうか。

いやまだまだあそこまで行くにはやりたいことも、やらねばならない使命も残されている。

どんな時代が来ても生きおおせねばならない。